今日は湿度が高いし、曇ってて夕日が見えなかった。
このことから明日は雨の可能性が高い。
これをプログラム的に書くと、
A=今日は湿度が高い
B=夕日は曇ってて見えなかった
If A and B Then
明日は雨の可能性が高い
こんな感じでしょうか。
このように文章を書く能力とプログラムを書く能力は、一見、事象を論理的に組み立てる能力に集約されると思われます。
ところが、文章を書く能力とプログラムを書く能力では、実は要求される素質が異なります。
どのように異なるのでしょうか。考えてみます。
過程と結果どちらを重視するか
文章は結果に至るまでの過程が大切です。
文章が導く結果も大切ですが、その結果に至るまでの過程をうまく表現できなければ、説得力のない文章となります。
一方、プログラムは過程よりも結果が大切です。
プログラムが動きさえすれば、過程は二の次でも問題ないです。
チームでプログラム開発する場合でも、コメントが適切に残っていれば、プログラムの内容がわかりづらくても問題ありません。
論理的思考力に長けるか、問題解決力に長けるか
文章は、結果に至るまでの過程に説得力がなくてはならないため、事柄を論理的につなげることが重要であり、論理的思考力が必要となります。
一方、プログラムはコードにはそれほど価値がなく、コードが導く結果に価値があります。
コードはコンピュータが正常に読みこめればそれで良いです。
つまり、並び順や構造はめちゃくちゃでも動いてしまえば良いのです。
さらにコードが間違っていたらコンピュータが教えてくれます。
その際、なぜ動かないのか原因を考え、問題を解決する能力が必要になります。
自分の考えを説明するのが好きか、結果を見て興奮するか
文章を書くのと、プログラムを書くのには、能力による向き不向きもありますが、好き嫌いもあります。
僕は少し前まで、文章を書くのは嫌いで、プログラムを書くのが好きでした。
その理由は、プログラムは書いたら実行結果がすぐに見れて面白いからでした。
文章は書いても自己満足するだけなので、あまり好きではありませんでした。
今では、自分の考えを表現するツールとして文章を利用しており、自分の考えをスムーズに書けたときの爽快感が心地よく、文章を書くのが楽しくなりました。
まとめ
本記事では、文章を書く能力、プログラムを書く能力に、それぞれ要求される素質について述べました。
以下にまとめます。
◆文章を書く
・結果よりも過程を重視する
・論理的思考力に長ける
・自分の考えを説明するのが好き
◆プログラムを書く
・過程よりも結果を重視する
・問題解決能力に長ける
・結果を見て興奮する
先に僕の好き嫌いについて語りましたが、好きこそものの上手なれという言葉があります。
文章にもプログラムにも、それぞれ別の面白味があります。
好き嫌いをせず、双方に向き合えば、心強い武器になっていくと思います。
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